人生には無駄がないという名言を中国語の勉強で考える
先日、友達(日本人)と話していたら「人生には無駄はない」といっていました。少し違和感を感じたので「人生には無駄もある」といったらそれもそうだねということになりました。
人生には無駄はない
人生には無駄もある
果たしてどちらが本当なのでしょうか。考えた結果は、答えからいうとどちらも本当だということに行き着きました。これを中国語の勉強に当てはめていきます。
中国語の勉強は人生に無駄なのかどうか
人生に無駄はないといった人は何事も無駄はないといいたいようでしたが、普段の行動を見ていると選択力がまずあります。
無駄がないのであれば選択せず目の前のことをやればいいのですが、まず何をやるのか、どんなことを目標とするのか選択します。そしてそれに向かって努力します。この努力の結果無駄はなかったと思うことが多いようです。
一方無駄がある場合があります。上記のように努力をすれば無駄な確率が減ります。しかしこの人にもすべてが無駄がないわけではありません。無駄もあるはずです。ということはどういうことかというと、無駄になることに焦点を合わせていません。逆に無駄がないことに焦点を合わせています。
ということは現象(起きていること)は同じなのです。同じ現象を捉え方によって無駄があったりなかったりすることがわかりました。
時間軸をみるとまたわかりやすくなります。
1.行動する前に選択する
2.努力する
3.人生には無駄はない
1.行動するまえに選択しない
2.なんとなく過ごす
3.人生には無駄もある
起きている現象は同じですが無駄になったりならなかったりします。現象はさほど問題ないような気もします。
中国語の勉強に例えてみると
1.中国語を勉強する前に方法を選択する
2.努力する
3.人生には無駄はない
1.中国語を勉強する前に方法を選択しない
2.なんとなく過ごす
3.人生には無駄もある
中国語が役に立つか立たないかという問題ではなく選択して努力することが重要。ここが人生に無駄があるかどうかの分かれ道です。
何事も例外があります。これも例外パターンもあります。
1.行動する前に選択する
2.なんとなく過ごす
3.人生には無駄もある
せっかくの選択が実を結んでないパターンです。中国語単語500メルマガは実を結んでいますか?
次に実を結ぶパターンです。
1.行動するまえに選択しない
2.努力する
3.人生には無駄はない
ただなんとなくきっかけがあったことをやりはじめて、強制的に努力させられたり自然に努力したりします。すると人生に無駄がないと思うようになります。
わたしが行ったシンガポールがこれと同じです。最初はシンガポールに興味はありませんでした。目の前にシンガポールに行く機会がやってきたのでよく考えずに飛びつきました。すると中国語を話さなければいけない場面がどんどんやってきました。このシンガポールの出来事は無駄ではなく有益な出来事となりました。
人生には無駄はない
人生には無駄もある
これはどちらも本当です。中国語の勉強を無駄にするのもしないのも自分次第です。わたしはどちらかというと「人生には無駄もある」と思っています。だっていろんなことがあるから。